2008/03/10 (Mon) 21:05:45 Drop!
よしみつ漢字ちげーですね。
よしみつ漢字ちげーですね。
またミスなんだぜ。
前回の訂正。
〇安紂Φ糎→義満です。寝ぼけてたら間違えました。
本日は室町幕府の政治体制をまとめようと思います。流れだけつかめればいい人は、これには年号で語るような事件・出来事などは出てまいりませんので読んでもそれほど益はないかも。まぁ語句の確認のために逐一戻るのはいいかもしれませんが。
では、室町幕府の政治機構のご紹介です。
まず中央の役職。
・『将軍』…まんま。足利さんちが世襲。鎌倉幕府の将軍に比べると権力があります。
・『管領』…鎌倉幕府での執権みたいなもん。執権に比べたら権力はない。『三管領』家の人間が(家…細川・畠山・斯波)が持ち回りでやります。
・『奉公衆』…幕府の直轄軍。御所や将軍の護衛&幕府の直轄地である『御料所』の管理をしました。
・『侍所』…武士の統率機関。所司(長官)を『四職(ししき)』とよばれた四家(山名・赤松・京極・一色)の中から任命した。ちなみにこの四家の中で一色のみが足利の一族です。
・『政所』…財政事務。
・門注所…記録の保管。
・評定衆
・引付衆
つづいて地方機関。
・『鎌倉府』…関東8国プラス伊豆・甲斐を統括。ほぼ独立して関東を統治した。長官は『鎌倉公方』とよばれ、初代は『足利基氏』で、その子孫が世襲しました。この長官を補佐するのが『関東管領』で、上杉氏が代々継いでいきます。
いやでもあとで気づきますが、鎌倉公方と将軍とか、鎌倉公方と関東管領は仲悪いです。
・奥州探題&羽州探題…東北地方担当。最初は奥州だけだったのがふたつにわかれました。
・九州探題…九州の守護大名統制、南朝勢力討伐。
法律は前回も書きましたように、基本は御成敗式目を使いまして、ほしいぶんだけ・『建武以来追加』として付け足してました。
次に、特別な税金について。たいてい荘園領主や守護がかけていた(?)ようです。
まず臨時にかけられるものとして、
・『段銭(たんせん)』…田一段につき課せられた。
・『棟別銭(むなべちせん)』…家屋の棟数に応じ戸別。のちのちは恒常的にとられた。
特定のものにかけられる税として、
・『土倉役』・『酒屋役』…土倉・酒屋(つまり高利貸し)にかけられた。
・『津料』…港でかけられた。
・『関銭』…関所でかけられた。
・抽分銭…貿易の利益にかけられた。
・分一銭…徳政令(借金帳消し令のこと)が出されたとき、貸してた側が貸してた金額の何分の一かを幕府に納めたもの。なんで借金帳消しのうえ貸した側が金払わなきゃならんのか理解に苦しみますが、室町末期は一揆と分一徳政(何せ幕府は金ないから)の乱発により、高利貸しはどんどん没落していったようです。あはれ。
最後に守護領国制について…。
鎌倉時代だと守護はほとんど名誉職的な存在で、地頭の方が権力もってたのですが、室町では守護の権限が増えましたのでその勢力も大きくなりました。
守護の職務は、鎌倉からつづく『大犯三箇条(たいぼんさんかじょう)』(大番催促・殺害人&謀反人の逮捕)とその他犯罪者の逮捕にくわえ、『刈田狼藉の取り締まり』(勝手に他人の田の穂を刈る者の取り締まり)や『使節遵行』も含まれるようになりました。また、観応の擾乱以後に尊氏が近江・美濃・尾張に限定して出した、荘園からの年貢の半分を守護のものにすることを許可する命令『半済令』は、何度か出されるうちに徐々に全国的・恒常的になっていきました。
こうした権力の拡大にともなって、各地の国衙(地方の役所)の役人はまるで守護の家臣のように、荘園はあたかも守護の領地のようになっていきます。このような体制を『守護領国制』とよびます。
待て次回。
前回の訂正。
〇安紂Φ糎→義満です。寝ぼけてたら間違えました。
本日は室町幕府の政治体制をまとめようと思います。流れだけつかめればいい人は、これには年号で語るような事件・出来事などは出てまいりませんので読んでもそれほど益はないかも。まぁ語句の確認のために逐一戻るのはいいかもしれませんが。
では、室町幕府の政治機構のご紹介です。
まず中央の役職。
・『将軍』…まんま。足利さんちが世襲。鎌倉幕府の将軍に比べると権力があります。
・『管領』…鎌倉幕府での執権みたいなもん。執権に比べたら権力はない。『三管領』家の人間が(家…細川・畠山・斯波)が持ち回りでやります。
・『奉公衆』…幕府の直轄軍。御所や将軍の護衛&幕府の直轄地である『御料所』の管理をしました。
・『侍所』…武士の統率機関。所司(長官)を『四職(ししき)』とよばれた四家(山名・赤松・京極・一色)の中から任命した。ちなみにこの四家の中で一色のみが足利の一族です。
・『政所』…財政事務。
・門注所…記録の保管。
・評定衆
・引付衆
つづいて地方機関。
・『鎌倉府』…関東8国プラス伊豆・甲斐を統括。ほぼ独立して関東を統治した。長官は『鎌倉公方』とよばれ、初代は『足利基氏』で、その子孫が世襲しました。この長官を補佐するのが『関東管領』で、上杉氏が代々継いでいきます。
いやでもあとで気づきますが、鎌倉公方と将軍とか、鎌倉公方と関東管領は仲悪いです。
・奥州探題&羽州探題…東北地方担当。最初は奥州だけだったのがふたつにわかれました。
・九州探題…九州の守護大名統制、南朝勢力討伐。
法律は前回も書きましたように、基本は御成敗式目を使いまして、ほしいぶんだけ・『建武以来追加』として付け足してました。
次に、特別な税金について。たいてい荘園領主や守護がかけていた(?)ようです。
まず臨時にかけられるものとして、
・『段銭(たんせん)』…田一段につき課せられた。
・『棟別銭(むなべちせん)』…家屋の棟数に応じ戸別。のちのちは恒常的にとられた。
特定のものにかけられる税として、
・『土倉役』・『酒屋役』…土倉・酒屋(つまり高利貸し)にかけられた。
・『津料』…港でかけられた。
・『関銭』…関所でかけられた。
・抽分銭…貿易の利益にかけられた。
・分一銭…徳政令(借金帳消し令のこと)が出されたとき、貸してた側が貸してた金額の何分の一かを幕府に納めたもの。なんで借金帳消しのうえ貸した側が金払わなきゃならんのか理解に苦しみますが、室町末期は一揆と分一徳政(何せ幕府は金ないから)の乱発により、高利貸しはどんどん没落していったようです。あはれ。
最後に守護領国制について…。
鎌倉時代だと守護はほとんど名誉職的な存在で、地頭の方が権力もってたのですが、室町では守護の権限が増えましたのでその勢力も大きくなりました。
守護の職務は、鎌倉からつづく『大犯三箇条(たいぼんさんかじょう)』(大番催促・殺害人&謀反人の逮捕)とその他犯罪者の逮捕にくわえ、『刈田狼藉の取り締まり』(勝手に他人の田の穂を刈る者の取り締まり)や『使節遵行』も含まれるようになりました。また、観応の擾乱以後に尊氏が近江・美濃・尾張に限定して出した、荘園からの年貢の半分を守護のものにすることを許可する命令『半済令』は、何度か出されるうちに徐々に全国的・恒常的になっていきました。
こうした権力の拡大にともなって、各地の国衙(地方の役所)の役人はまるで守護の家臣のように、荘園はあたかも守護の領地のようになっていきます。このような体制を『守護領国制』とよびます。
待て次回。
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